「破戒」(島崎藤村)①

「無知→理解→混迷→悟り」の、若い魂の変遷

「破戒」(島崎藤村)新潮文庫

部落出身の丑松は、
父親から身分を隠せと
堅く戒められていた。
しかし彼は同じ新平民である
猪子の思想に深く傾倒し、
身分を秘して職に就いていることに
苦しみを感じる。
その苦悩が深まったとき、
彼は猪子の壮烈な死に接する…。

発表以来、
差別問題や小説としての完成度等、
いろいろな物議を醸し出した、
ある意味「問題作」です。
実は私も本作品に対しては、
違和感を覚える部分が多々あるのですが、
それは後日触れることにしましょう。
本作品で読み味わうべきは
「主人公・丑松の魂の変遷」と考えます。

「何にも自分のことを知らないで、
 愛らしい少女と一緒に
 林檎畠を彷徨ったような、
 楽しい時代は往って了った。」

回想場面からうかがえるのは、
幼いときは無知ゆえに
幸せだったということです。

それが社会に出て、
父親からの戒めを
守り続けることによって、
丑松は自分の出自について
考えるようになります。
「たとえいかなる目を見ようと、
 いかなる人に邂逅(めぐりあ)おうと
 決してそれとは自白(うちあ)けるな、
 一旦の憤怒悲哀(いかりかなしみ)に
 この戒(いましめ)を忘れたら、
 その時こそ社会(よのなか)から
 捨てられたものと思え」

それは絶望にも似た自己理解でしょう。

さらに丑松は、
父親の戒めと猪子の自由思想との間で
板挟みとなり、苦悩し続けます。
そして一時は、
「何故、自分は学問して、
 正しいこと自由なことを慕うような、
 そんな思想を持ったのだろう。
 同じ人間だということを
 知らなかったなら、
 甘んじて世の軽蔑を受けても
 いられたろうものを。」

と完全に打ちのめされるのです。

しかし猪子の死が丑松を変えていきます。
「丑松は死んだ先輩に手を引かれて、
 新しい世界の方へ
 連れて行かれるような心地がした。
 告白―それは同じ新平民の先輩にすら
 躊躇したことで、
 まして社会の人に自分の素性を
 暴露(さらけだ)そうなぞとは、
 今日まで思いもよらなかった
 思想なのである。
 急に丑松は新しい勇気を掴んだ。」

この、
「無知→理解→混迷→悟り」の流れが、
実に明快に表現されています。
この青年・丑松の魂の変遷と成長こそ、
中学生に感じとって欲しい
本作品の肝の部分です。
ただし、完全な「悟り」ではなく、
やはり板挟みからは抜け出ていません。
それについては
明日また書きたいと思います。

(2018.12.12)

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